子宮頸部円錐切除術、頸管拡張術を経て40歳で妊娠完全流産に至るまで

今、この記事を読んでいらっしゃる方の中には、辛いお気持ちの方もいらっしゃると思います。

しかし、私自身がそうだったように、誰かの体験談を知ることで、不安が少しでも軽くなったり、心の準備につながったりすることがあります。

誰にも聞くことができず、自分のことも打ち明けられなかったとき、私もネット検索をした中で、様々な方の体験談を拝見し、助けられました。

 

これは、私の、40歳で第二子を妊娠、その後、流産と自然排出に至るまでの記録です。

流産を告げられてから、どのような速度で、何が起きたのか、私の経験を記します。

 

また自分自身が、確かに2人目を妊娠したのだ、ということ、たった一瞬だったかもしれないけれど、お腹の中に会いに来てくれた赤ちゃんとの日々を、このような形で残すことにしました。

私達の経験が、少しでもどなたかのお役にたてましたら幸いです。

子宮頸部高度異形成と子宮頸管閉鎖症を経て40歳で妊娠

私には、5歳になる娘がいます。

娘を妊娠中の子宮癌検診で、子宮頸部高度異形成(上皮内癌)が見つかりました。

 

妊娠初期に義務付けられている妊婦健診で、子宮頸部高度異形成が見つかっていなければ、手遅れになっていた可能性がありました。

ですから、私は今でも娘に救われたような気がしてなりません。

 

私を救ってくれた娘を無事出産し、その数か月後に子宮頸部円錐切除術を受けました。

その後、子宮頸管閉鎖症になり(円錐切除術を受けるにあたり、そのようなリスクがあることは承知していました)、子宮頸管拡張術を受けました。

 

上記の内容については、また別記事にして詳しく記していきたいと思います。

医大にて数年に渡り経過観察を続けました。

診察の度に気を失いかけるほどの激痛を味わい、とても第二子のことは考えられず数年が過ぎました。

 

医大での経過観察が無事終了したころには、40歳になっていました。

40歳になり、もし可能性があるのなら、今年で最後にしよう、という覚悟で、第二子を望む気持ちになりました。

幸い、妊娠に至りました。

 

そして、残念ですが、流産してしまいました。

私にとっては、とても意味のある経験でした。

きっと、一瞬だけお腹に来てくれた赤ちゃんにとっても。

 

私達の日々を、形に残しておきたいと思います。




妊娠発覚から流産、自然排出(完全流産)に至るまで

生理予定日二日目に検査薬で陽性反応、妊娠発覚

私はスマホアプリで毎月の生理日を管理していたのですが、ほぼ毎回、生理予定日が外れることはありませんでした。

それくらい、生理は順調に来ていました。

ですので、妊娠したときも、すぐに分かりました。

 

生理予定日から一日ずれたので、二日目に検査薬を試してみたときに、陽性を確認できました。

それから五日後にもう一度、検査薬を試し、主人と娘にも陽性を一緒に確認してもらいました。

 

今回は2度目の妊娠。

焦らずに、確実に心拍が確認できる週数に予約を入れよう、と産婦人科に電話しました。

 

妊娠7週で心拍が確認できなかった

その後、妊娠7週目のときに産婦人科で妊婦健診を受けました。

私としては、もう確実に心拍が確認できるであろう週数に予約を入れたつもりでした。

しかし、その日の診察で心拍を確認することはできませんでした。

 

この日、私は、「あぁ、今回はダメだったんだ」と希望を持てずにいました。

いくつか思い当たる点があったためです。

 

まず、第一子を妊娠したときには、もう7週にはつわりが始まっていました。

それが、今回は、胃が気持ち悪いとか、違和感があるとか、何もなく、7週まできていました。

 

また、診察の1週間前から茶色のおりものが、2日前からは、少しだけ鮮血が出ていました。

 

実は、主人には、診察の前から「今回はちょっと分からない」と、何度か言っていました。

思ってはいけないことだったのかもしれませんが、どうしても、そんな予感がしていました。

 

今回は、最初の妊婦健診から、なるべく娘も一緒に連れて行くことにしました。

5歳ですので、記憶に確実に残ると思ったためです。

出産に至らなくても、全て娘が理解できる言葉で、説明しようと決めていました。

娘は、診察後「赤ちゃん、分からなかったね。でも、大丈夫だよ!赤ちゃんが入ってる袋はあるって先生が言ってたもんね!」と、ずっと待ち望んでいた赤ちゃんにまだ無邪気に希望を持っていました。

 

今回は、本当にだめかもしれない・・・

そう思いながら、次回の予約を十日後に入れて、帰宅しました。

 

2度目の診察前、妊娠8週で出血、流産が確定

はじめての診察から三日後、夜お腹がキューっと痛くなりました。

その日、ナプキンに今までより多めの鮮血を確認しました。

 

おりもの用で足りていたそれまでの出血よりも量が増えました。

しかし、妊娠初期の出血はよくあるものだと、すぐに診察を受けようとは思いませんでした。

安静にしていれば、大丈夫。

その日は、そのまま眠りにつきました。

 

次の朝、予想通り腹痛も、出血もおさまっていました。

しかし、その日の夜、お風呂から出ると、またお腹(下腹部)が痛くなりました。

早目に寝れば大丈夫、大丈夫・・・

 

幸い主人がいつもより早く帰宅していましたので、娘を任せて「ドライヤーが終わったらすぐにベッドに行くね」と、告げました。

その時、ドライヤーも立ったままできないくらい、下腹部に痛みがありました。

そして、ベッドに入る前にトイレに行くと、少し多めの鮮血に気づきました。

 

19:30

ベッドに入りました。

しかし、全く眠ることができませんでした。

そのうち、定期的に下腹部の痛みがきていることに気が付きました。

その間隔と痛みで、娘のときの陣痛を思い出しました。

 

21:30

まだ寝付くことができませんでした。

おかしい、おかしい、やっぱりこれは、良くない気がする。

痛みの強さに、少し怖くなってきました。

ようやく産婦人科に電話することにしました。

 

当直の先生から、すぐに来てくださいと言われ、自分で運転して病院に向かいました。

運転できるかどうか不安でしたが、産婦人科が近かったのと、娘が寝ていたので、起こすのをためらい、無理して運転してしまいました。

みなさんは、どうか真似しないでください、危険だと思いました。

 

当直の先生は、私の医大での主治医でした。

医大から、そこの産婦人科に夜間ときどき来ているのだと、お聞きしたことがありました。

この先生は、娘と誕生日が同じだったり、あらためてご縁を感じました。

 

これまでの私の経緯もとてもよく知っていらっしゃる先生に診ていただけたことは、不幸中の幸いでした。

先生の顔を見た瞬間、心が安らいだのを覚えています。

 

状況をお伝えし、内診をしていただきました。

「胎嚢が下におりてきちゃってるね、大変だったね、痛かったね」と声をかけられました。

また「頭が見えていれば楽になるように引っ張ってあげられるんだけどね」とおっしゃいました。

ああ、胎嚢のことをおっしゃているのだな、というのが、わかりました。

しかし、痛いのが怖くて「痛いですか?」という私に、(先生もこれまでの経過をご存知で、痛みに苦しんだことを分かっていました)「大丈夫だよ、何もしない、何もしないで終えるよ」と、すぐに診察を終えてくださいました。

 

先生は、気を遣われたのか、最後まで「流産」という言葉は使われませんでした。

しかし、もう、内診の前から、お互い空気で納得したうえでの診察だったように思います。

 

「子宮頸管が狭いから、もしかしたら内容物が出にくくて痛くなっちゃうかもしれない。でも、自然に出てくるのを待ちましょう、きっとピークは過ぎましたよ。」

と言われました。

流産ということ、また自然に出てくるのを待つ、という意味ををよく理解していなかった私は、痛みのピークは過ぎたのだ、と少しほっとし、まだ続く下腹部痛に耐えながら、運転して自宅に帰りました。

 

流産確定から自然排出(完全流産)に至るまで

私は、自然流産(進行流産)によって、自分の身にこれから何が起きるのか、全く分かっていませんでした。

ものすごく軽く、受け取っていました。

(命を軽く考えていたという意味ではありません。一瞬でもお腹に会いに来てくれた第二子の存在は、ものすごく感じていました。)

 

その日は、ほとんど何も質問をすることもないまま、産婦人科をあとにしました。

お腹の痛みに耐えるのに必死でしたし、きっと頭の中も整理できていなかったのだと思います。

 

流産確定から一日目

流産が確定した次の日、約1分間隔で腹痛がありました。

しかし、出血はなくなっていました。

この日から、主人は一泊で出張でした。

夜、何もないことを願いながら、この日は何とか眠りにつくことができました。

 

流産確定から二日目

朝から、5分間隔で腹痛がありました。

しかし、このときもまだ、自然に排出するということがどういうことなのか、うまく理解できていなかった私は、普通に生活していました。

ネット検索して、色々と調べましたが、なぜか自分は大丈夫、という気がしていました。

娘の習い事があった日で、幼稚園まで迎えに行って、習い事も行くつもりでいました。

 

しかし、5分おきにくる腹痛と、出血が全くないことが不安になり、娘のお迎えを母に頼むことにしました。

同時に、産婦人科にも電話をしました。

習い事は、お安みすることにしました。

 

娘をお迎えに行ったあと、すぐに診察をしてもらうことになりました。

このまま待っていると、いつまでかかるか分からないから、子宮収縮剤を飲んで早目に出してしまったほうが楽だよと言われ、収縮剤を処方されました。

処方されたのは、「パルタンM錠」というお薬でした。

このときは、ネットで色々と調べていましたので、先生にも様々な質問をさせていただきました。

 

子宮収縮剤を飲んだ後に、どのくらいで痛みがくるのか、またどの程度の痛みであるのか。

出血量と、何がどのくらい排出されるのか。

ナプキンはどのくらいのものをしていたらいいのか。

とにかく、思い付く限りのことをお聞きしました。

 

今から陣痛が来るのだ。

そう思うと、怖くはありましたが、今回は痛み止めを使用できることと、まだ週数が浅く胎嚢も9㎜くらいで、小さいことなどから、耐えるしかない!と覚悟を決めました。

娘は実家にあずかってもらい、一人になってから子宮収縮剤を飲みました。

 

子宮収縮剤を飲んでから胎嚢が出るまで

17:00

子宮収縮剤を飲みました。

先生からは、早ければ15分くらいで効いてくるとお聞きしていたのですが、私は効いてくるのに一時間ほどかかりました。

痛みは定期的に来るけれど、ほんの数秒でやり過ごすことができました。

子宮収縮剤を飲むまで、5分間隔で痛かったのですが、飲んでからのほうが痛みと痛みの間隔があき、楽になった気がしました。

ナプキンは備えていましたが、出血はありませんでした。

 

18:00~19:00

この一時間は、10~15分おきくらいに腹痛がきました。

しかし、すぐにおさまりました。

 

19:00過ぎ

このとき、それまではすぐにおさまっていた腹痛が、一度10分程続きました。

 

19:30~20:00

腹痛の間隔が、5分おきになりました。

 

20:00~22:15

約二時間、絶え間なく腹痛が続きました。

下腹部がギューっとなる感覚でした。

この間に、主人が出張から帰り、私の実家から娘を連れてきました。

 

主人と娘は一階、私は一人で二階のベッドに横になり、痛みに耐えていました。

ロキソニンを飲んでいましたが、効いているとは思えませんでした。

 

2時間痛みに耐え、ふっと軽くなったときに、疲れて寝てしまったようでした。

 

23:30

下腹部の痛みで目が覚めました。

痛いのが怖くて、ロキソニンを飲みました。

 

まだ出血はありませんでした。

このとき、痛くて痛くて、赤ちゃんを自分の力で産んであげるんだ、という最初の思いは、「この痛みの意味があるのなら知りたい!」という気持ちに変わっていました。

この痛みに終わりがあるのか、怖くて仕方がなかったのを覚えています。

また痛みが長時間続くというのは精神的にも肉体的にも辛いものでした。

 

23:30~1:00

ベッドに戻ると、主人が腰をマッサージしてくれました。

下腹部と、腰の激痛も出てきて、陣痛そのものという感じがしました。

ひたすら、息を長く細く吐くことだけに集中しました。

 

この痛みはまだ続くの?いつまで続くの?もう、こんな経験は二度としたくない。

痛い、痛い、痛い。

何で私ばっかり、と、これまでの子宮頸部高度異形成から始まった色々なことを思い、悔しさでいっぱいになりました。

 

この時が、痛みのピークでした。

約一時間半、絶え間ない痛みに耐えていました。

唯一救われたのは、腰の激痛に負けないくらいの強い力で、主人がずっと腰を押し続けてくれたことです。

最後のほうは「もういい?」と、腕がプルプルしてしまうほど、頑張ってくれました。

 

「もういいよ」と言ったのと同時に、ふっと眠気が襲い、そのままうとうとしていました。

 

1:30

咳をしたときに、ポコっと何かが出た感覚がありました。

トイレに行ってみると、出血していました。

やっと、血が出た!と嬉しく思いました。

このときの出血の量は、生理用ナプキンの一番小さいもので足りました。

 

ティッシュで拭き取ったときに、胎嚢と思われる白っぽいものが付いてきました。

「やっと出てくれたんだ、ありがとう、ありがとう、よく頑張ったね」と、赤ちゃんと自分をほめました。

(2018.2.23)

 

先生から、内容物は全てまとめて次の診察の際に持って来るよう言われていました。

胎嚢と思われるものの中に胎芽が見当たらないか、一生懸命探しました。

残念ながら、何も見つかりませんでした。

サランラップにくるみ、それを白い紙に包んで、ジップロックに入れ、冷蔵庫で保管しました。

 

二階に行って、主人に報告しました。

痛みは一気に楽になっていました。

出血は、そのときにナプキンについたもののみで、その後は止まりました。

 

20:00からの2時間、23:30からの2時間、ほぼ陣痛のような苦しみを味わいました。

実際の陣痛のときは、トイレにも立って行けず、床をのたうちまわっていましたが、今回はそこまでではありませんでした。

ベッドで横になり耐えることができる痛みでした。

 

痛みは随分と和らいだのですが、4:00まで寝付くことができませんでした。

 

胎嚢が出た翌日、胎盤が排出されるまで

翌朝、起きてすぐにトイレに行ったのですが、出血はないままでした。

私の場合は、胎嚢が出たら終わりだったんだ、と思いました。

先生からも、胎嚢が小さいからそこまでは大変じゃないと思う、と聞いていたからです。

 

10:00

産婦人科に電話しました。

内容物が出たら、連絡するように言われていました。

また、子宮収縮剤は飲み切る必要があるのか、もう飲まなくていのかを聞こうと思いました。

 

先生からは、それで終わりではなく、まだ内容物が排出されるかもしれないから、収縮剤は飲み続けるように指示されました。

まだ痛みを味わう可能性があると知り、どうにか逃げ出せないものか、一瞬考えてしまいました。

 

10:30

覚悟を決めて、子宮収縮剤を飲みました。

娘の習い事があったので、主人にお願いしました。

 

11:00

下腹部痛が強くなりました。

一時間くらい、痛みに耐えながらソファで横になっていました。

しかし、痛みは昨夜のものよりだいぶ楽でした。

 

12:00

何かが出る感覚がありました。

胎嚢のときはポコっという感じでしたが、今回は、ニュルっとかドロっという感覚でした。

娘を出産したときに胎盤が出たときと似ていました。

同時に、結構な量の血が出続けているのが分かりました。

 

すぐにトイレに行きました。

座ると、ドロっと便器に何かが流れ落ちました。

胎盤のようでしたが、少し白っぽいものも混ざっていました。

 

同時に、次々と血が流れてきました。

ナプキンは昼用を付けていましたが、全然間に合わない量でした。

家にいるときでよかった、と思いました。

血は、次から次へでてきました。

 

しばらくの間は、昼用ナプキンを15分おきに替えていました。

 

トイレに落ちてしまった胎盤のようなものは、拾い上げ、昨夜と同じように、サランラップと白い紙に包み冷蔵庫に保管しました。

 

12:30

お腹の痛みが続いていましたので、ロキソニンを飲みました。

それでも効いている感じはありませんでした。

 

13:30

腹痛は続いていました。

トイレに、ナプキンを替えに行くと、またドロっと胎盤が落ちました。

続いて、ティッシュで拭くと、もう一度胎盤がティッシュについて出てきました。

今回は、胎盤だと間違いなく分かりました。

娘を出産したときに、自分の胎盤をみせてもらっていたからです。

 

そのときの大きさと比較したら全然ちいさいのですが、きれいな色の胎盤でした。

これを機に、痛みは一気にひいていきました。

 

この日は、21:00にも子宮収縮剤をのみましたが、かすかな痛みを感じた程度で、もう腹痛はおこりませんでした。

きっと、完全流産(すべて内容物が排出)したのだと思いました。




まとめ

第二子を望む気持ちになってから、妊娠、そして流産までは、2か月でした。

 

妊娠できたこと、そして、残念でしたが流産してしまったことは、私にとっては(きっと赤ちゃんにとっても)とても意味のあることでした。

(長くなってしまいましたので、詳しくは別の記事にしてまとめます)

 

この数日間、2人目を望むことについて、これまで以上に深く考えました。

 

私は、私達家族が待ち望んだ第二子を、生きて産んであげることはできなかったけれど、そしてこの子も、生きて生まれるという選択をしなかったけれど、一瞬でもあえて、本当に嬉しかったんです。

私のお腹の中に入ってくれて、ありがとう、と何度も何度も言いました。

 

また、他にも処置方法があるのは承知していますが、痛みを伴ったとしても、自然排出を待って、私は、良かったと思っています。

この子が一瞬でもお腹にいたこと、そして、自分の力で産んであげられた、という実感を持てたからです。

 

本当に素晴らしい、貴重な経験をさせていただきました。

私の子供としではないかもしれないけれど、また、どこかで会える気がしています。

 

これから自然排出を経験される方にとっては、痛みの事ばかり書いて、不安な気持ちをあおってしまったかもしれません。

痛みの感じ方には、個人差があると思います。

また、私は、以前の手術の影響で子宮頸管が細くなっているため、余計に痛みを感じやすくなっている可能性もあります。

 

処置は他の方法もありますので、このブログを読んで、少しでも選択の際の参考にしていただければと思います。

 

不快な思いをした方がいらっしゃるかもしれませんが、お許しください。

その後の診察結果、経過などにつきましても、こちらに随時追記していくつもりです。

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mii

一児(女の子)の母。子育ては決してうまく行くことばかりではないけれど、この一瞬一瞬は、二度と戻らない。だから、私は娘の「今」「この瞬間」を、味わい尽くしたいと思っています。私達親子の成長の体験が、少しでもどなたかのお役に立てましたら幸いです。

はじめましての方へ

子育ては、決してうまくいくことばかりではないけれど「常に上機嫌で、人生を楽しむコツを教えてくれた。」私は、娘にとって、そんな「人」でありたいと思っています。そして、「この一瞬一瞬は、二度と戻らない。」だから、私は娘の「今」「この瞬間」を、味わい尽くしたいと思っています。そんな私達親子の、これまでと、これから。

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